人それぞれ「こだわり」がありますよね?
コーヒーはブラックしか飲まない、TVは国営放送しか見ない、ポテトチップスを食べる時に人差し指を使わない等々、世の中には実にさまざまな「こだわり」を持つ人がいます。
確かに「こだわり」を持っている人に尊敬すべき方が多いのも頷けます。
「こだわり」を持っていたからこそ、一流になり成功者になり人々の羨望の眼差しを受ける人生を送っている人々もいることも事実でしょう。
でもその「こだわり」が自分を成長させる為のステップの邪魔をしていたら勿体なく思いませんか?もしかするとその思いはただの「自分ルール」になって「自分を縛る鎖」になっているかもしれませんよ。
一つ二つの「自分ルール」ならいいかも知れませんが、その縛りが四つ五つと増えていくごとに制約が増えてしまい、がんじがらめになっている人もいます。
実際過去に「英語はイギリス英語しか認めない、それ以外の英語なんてナンセンスで全く英語とは言えない」という類のことをいっている人がいました。
たまたまその方は行動力と財力とタイミングが上手くいってイギリスで英語を学ぶことが出来たかもしれませんが、もしアナタが環境・条件が整わないにも拘わらず同じようにイギリスで英語学べないのなら意味がないという「こだわり」を強く持っているのなら折角意欲があっても英語を学ぶ事は出来ないでしょう。
ここでも一つ自分の成長を「こだわり」が邪魔をしているわけです。
反対にその「こだわり」がなければ東南アジアとのスカイプや英語アプリ、近所で英語を教えてくれる外国の方から学ぶなど選択肢は沢山あります。
実に勿体ないと思いませんか?
いくつかの「こだわり」は持っていても良いと思いますし、むしろ持っていないと軸のないブレブレの人間になってしまいますしね。
でももし「こだわり」があまりにも多かったり、(こだわりと小さなプライドが混同している)ようならチョッと冷静になってその「こだわり」の一つや二つは外してみると案外肩の荷が下りるかも知れませんよ。