個人的に言霊(ことだま)はあると思っています。
霊という字が入っているせいか、この言葉を使うと何だか怪しいなと思う方もいるようです。
しかしながらこの日本において”言葉”は古来よりとても特別なものとされ連綿と受け継がれています。
ざっくりとした例ですが万葉集にも「言霊の幸(さき)はふ国」と記されているように「言葉には現実の出来事を引き起こす力がある」と信じられてきました。
このことは大和言葉の”おと”に漢字を当てはめる際に”言(こと)”と”事(こと)”を区別せず同じ”おと”を振り当てたことからも感じ取れます。
ですから普段使っている何気ない言葉が自身や周りに思わぬ影響を与えることもあるように思います。
身近なところで言えば私は整体師ですので”痛い”という言葉をよく聞きます。
”痛い”は”居たい”ですから痛いを何度も唱えると、その痛みはじんわり深く心と身体に刻まれてしまいます。
であればそれを解消するためには”痛くない(居たくない)”と言葉を変換することで、その痛みが焼き印のように刻まれることから逃れることができるんですね。
こう書くとなんだ当て字のダジャレかよと思う人もいるでしょう。
そう思うのも無理からぬことです。
しかしここで古事記を紐解くとスサノヲノミコトがヤマタノオロチを退治した後、自分の住居となる宮を作るのにふさわしい土地を探し、ついに見つけた場所で「吾(あれ)此処に来て、我(あ)が御心、すがすがし」と言いました。それからその地が”須賀”という地名なったという言い伝えもあります。
このように日本は古来より”いみ”よりも”おと”に字を当て重要視してきました。
ですから例えそれが当て字でもそれは言霊に繋がっていくのですね。
実際痛いものは痛いのですが試しに膝が痛い、腰が痛いと言わずに、口から発する時は別に膝は痛くない、腰も痛くないと唱えてみて下さいね(^^)