なぜ、緊張しているつもりがないのに身体が固いのか
「リラックスしてください」と言われても、どうすればいいかわからないという人は案外多いものです。
例えば施術台に横になっても、肩や首の力が抜けない。
深呼吸をしても、力感が残っているなど、頭ではリラックスしようとしているのに、その通りに体がついてこないのです。
あっそれ私のことだと思ったのなら、次のことを知っておいてださい。
それは、緊張は「意志」でコントロールするものではない、ということです。
体の緊張は、神経系が「今は安全か、それとも危険か」を判断した結果として起きています。危険を感知している神経系は、頭で「大丈夫」と思っていても、筋肉を緩めようとしません。
これは神経系が正しく機能している証拠なのですが、その判断が故にリラックスしたいのに緊張が解けないというもどかしさが生まれます。
このズレを説明するのが、ポリヴェーガル理論なのです。
ポリヴェーガル理論とは
ポリヴェーガル理論(Polyvagal Theory)は、アメリカの神経科学者『スティーヴン・ポージェス(Stephen Porges)』が1994年に提唱した理論で、自律神経系の働きを新たな視点で捉え直したものです。
従来の自律神経の説明は副交感神経がブレーキというシンプルな図式で、「交感神経と副交感神経の二系統」と言われていました。これはこれで間違いではないのですが、臨床の現場では説明がつかないことも多かったのです。
「リラックスしているはずなのに身体が固い」「疲れ切っているのに眠れない」「何もしていないのに消耗する」これらは、交感/副交感の二項対立では説明しにくく、何かが欠けているようにも思えます。
しかし、ポリヴェーガル理論はそこに、もう一つの系統を加えて、その欠けたものを補ったのです。
三つの神経系——階層として理解する
ポリヴェーガル理論では、自律神経系を三つの階層として捉えています。
①腹側迷走神経系(Social Engagement System)——安全の状態
最も新しく進化した系統。哺乳類が社会的な生き物として生きるために発達しました。
この系統が優位なとき、人は他者と安心して関われるのです。
この状態では声のトーンが柔らかくなり表情は豊かになります。人の話をよく聞き、身体はほどよい緊張感の中にありるので、必要に応じて動けるが、余計な力は入っていません。
施術の文脈でいえば、施術者の手が「安全な接触」として感知されているとき、この系統が働いているのです。

②交感神経系(Fight or Flight)——闘争・逃走の状態
危険を感知したときに発動します。
体は心拍数が上がり、筋肉に血液が集まり、素早く動ける状態になります。
これが問題とされているのは、現代社会では実際の危険がなくても、この系統が慢性的に活性化しやすいことがあるからです。仕事の締め切り、人間関係の緊張、騒音、情報量の多さなど、これらは身体にとって「脅威」として処理されれてしまうからです。
過緊張タイプの人の多くは、この状態が長期化しやすい傾向にあり、体が常に「いつでも動ける態勢」をとり続けているため、休もうとしても力が抜けず、不調に悩まされているのです。
③背側迷走神経系(Freeze)——凍りつきの状態
迷走神経の中で、最も古い系統が進化的には爬虫類の時代から存在しています。
これは原始的な生存反応であり、闘争・逃走でも対処できないほどの危険に直面したとき、身体は最後の手段としてシャットダウンを選びます。動かなくなることで、捕食者の目を逃れ、あるいは、これ以上傷つかないように感覚を遮断するのです。
ここで問題なのは、この反応が「過去の記憶」によっても引き起こされることなのです。
現在は安全な状況にいても、過去に強いストレスや恐怖を経験した神経系は、似たような刺激に反応してシャットダウンしてしまうことがあります。頭では「大丈夫」とわかっているのですが体が動かない、何もやる気が起きない、感情が平坦になって、人と関わることが億劫になる。
これらは「意志が弱い」せいだと言われてきましたが、実際は神経系が防衛のためにブレーキをかけている状態なのです。
凍りつきが起きているとき、身体の内側では何が起きているか。
心拍が下がり、消化器系が止まり、筋肉から力が抜け、表情が動かなくなります。
これは外からは「ぼーっとしている」「無気力に見える」状態に見えやすく、このうつ状態の重さ、慢性疲労のどうにもならない感じ、感覚の麻痺が出たら、この背側神経系統の関与が考えられます。
ここで、もう一つ理解しておきたいのは、凍りつきは「交感神経の高ぶり」と同時に起きることがある、という点です。
内側では交感神経が激しく活性化しているのに、それをさらに上から背側迷走神経系が抑え込んでいる状態は、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような、非常に消耗する状態です。
「疲れ切っているのに眠れない」「何もしたくないのに頭だけが動き続ける」という感覚は、まさにこの構造から来ていることが多いのです。
凍りつきから抜け出すには、「安全だ」と神経系に伝えるプロセスが必要になります。表面的な言葉での説得ではなく、体を通じた感覚的な体験がそれを可能にします。
「ニューロセプション」——身体が先に感知している
ポリヴェーガル理論の重要な概念に、『ニューロセプション(Neuroception)』があります。
「神経系が、意識より先に安全・危険を感知するプロセス」のことをいいます。
私たちが「危ない」と頭で判断する前に、神経系はすでにその場の空気・音・相手の表情・声のトーン・触れられ方などを処理し、身体の状態を変えています。なので、「大丈夫だとわかっているのに身体が緊張する」という現象が起きるわけです。
つまり頭より身体の方が先に動いているということです。
そして、これは神経系が何百万年もかけて獲得した、精密なセンサーであり、いわゆる第6感もこの系統に入るのだろうと思います。
ただ厄介なことに、過去のつらい経験や慢性的なストレスによって、このセンサーの閾値が下がってしまうことがあり、こうなると本来なら「安全」と判断できる状況でも、神経系が先回りして「用心しろ」と反応してしまうのです。
HSPと神経系の感度
HSP(Highly Sensitive Person)の人は、このニューロセプションの感度が高いとされています。
日常的に場の空気の変化、相手の微妙な表情のブレ、音や光の細かい変動など、そういったものを無意識に処理し続けているのですが、これは「気にしすぎ」ではなく、神経系がそのように情報を拾うように作られているからなのです。
そのため、HSPの人が疲れやすい場面は、一般的に「疲れる」と認識されていない状況と重なることがあります。
楽しい集まりの後でも疲弊する。
静かな場所にいても消耗するというのは、神経系が常に多くの情報を処理し続けているからです。
腹側迷走神経系が優位な「安全の状態」に入るためには、外部からの刺激量を減らすことと神経系が安全と感知できる接触や環境が両方必要になります。
整体とポリヴェーガル理論【改訂版】
当院では、自律神経へのアプローチを考えるうえで、ポリヴェーガル理論を重要な視点のひとつとして施術に取り入れていています。
過緊張の状態にある身体に対して、強い刺激を与えることは時として逆効果になりやすく。神経系が「脅威」として感知する刺激は、さらに交感神経を活性化させることがあります。「痛気持ちいい」刺激で一時的にほぐれても、しばらくするとまた戻るというのは、このせいです。
施術においては、まず神経系が「安全」と感知できる状態を作ることを優先しています。腹側迷走神経系が働き始めると、身体は深いところから緩み始めますので、その上で、過緊張の部分に働きかけていくわけです。言い換えるなら神経系の準備ができていない段階で深部に触れても、体は開きません。
施術後に「眠くなった」「身体が重くなった感じがする」という感覚を覚える方がいますが、これは副交感神経が優位になったサインで、長い間交感神経優位だった身体が、ようやくブレーキを踏み始めた状態です。悪化ではなく、回復の入口にいると考えて下さい。
具体的な施術の考え方については、[当院の整体について]のページをご覧ください。
神経系は、変わる【神経可塑性】
ポリヴェーガル理論の中でも大切なことは、神経系は固定されていないということです。
過去の経験によって閾値が下がっていても、適切な刺激と環境があれば、神経系は少しずつ「安全」を学習し直すことができます。これを神経可塑性(しんけいかそせいせい/神経回路が経験によって書き変わる性質のこと)といいます。
「ずっとこういう体質だから」「生まれつき緊張しやすいから」と、そう思って諦めている人に、可能性を伝えたくてこのページを追記しました。
体が変わる、というのは気合いや努力の話だけではないのです。
神経系が「ここは安全だ」と感知できる機会を、少しずつ積み重ねていくという物語もあります。