粋に生きる?野暮に生きる?

「粋じゃねーな」この一言が今回の話しの全てです(^^)

 

さて最近は何かにつけクレームがつくことが多いようですね。

 

この類の話で最初に驚いたのは「ちゃんと給食費を払っているのだから子供に頂きますと言わさないでちょーだい」という話。

 

当時は何ともビックリしたものですが、どこかの有識者の方も「外国ではこんな事は言わない、日本だけのおかしな習慣だシェフに美味しかったよと言えばいいだけ」と言ったとか言わなかったとか聞きました。

 

まぁ思想は色々なのでそう思う人もいるのでしょう。

 

僕は食料になった命そのものに対しての「頂きます」だと思っているので、レストランでも自宅でも言いますけどね(^^)

 

とまぁ前置きがありましたが、年々加速がついているように感じます。

 

それこそ”箸が転んでもクレーム”くらいの肌感覚なのですが、なんだか窮屈ですね。

 

こういった話が耳に入ってくるだけで心の何かが削られるように感じるので正直もう飽き飽きしているわけです(-_-;)

 

なので最近はこの類が耳に入ってくると前述の「粋じゃねーな」と呟いて終わりにしています。

 

そもそもクレームってダサくないですか?「粋」と対の言葉を使うなら「野暮」になるのかな。

 

もしかするとホントの意味での「粋」とは違う使い方かもですが、ニュアンスを汲み取って下さると有難いです。

 

同じようにどーでもいいことで執拗にマウントをとったり、わざわざ何キロもあおり運転で付け回したりと、世の中に沢山”野暮”な行為が蔓延していますよね。

 

そんな現代だからこそ、ほんの140年やそこら前にあった「美意識」を心に持って生活していれば、もうちょっと暮らしやすくなるんじゃない?と思う今日この頃だったりします。

 

福山
福山

あっ因みに僕は江戸っ子ではないですよー(^^)

 

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